城郭探訪『松山城の搦手罠』

「城郭建築」は「桃山文化」の象徴であると言われる。だが、江戸幕府の武家諸法度などによって新たな天守築城や増改築が禁止され厳しく取り締まっていたことの影響で、天災などによって被害を受けた天守の再建を断念した城郭もあるなど、その建築技術は継承されず次第に衰えていったとされる。
松山城創設は、賤ヶ岳七本槍の一人としてその名を馳せた加藤嘉明である。関ヶ原の戦いによる功績を認められ20万石となってその居城を正木城から道後平野中央の勝山へ移し、この地を松山と命名したことに始まる。1602年に足立重信を請負奉行として築城を開始したが、着工から25年後の1627年に完成目前にして会津若松へ転封となっている。その後入封したが参勤交代の途中京都で病没した蒲生忠知を経て1635年7月に伊勢桑名城主松平定行が伊予松山15万石に封じられた後、14代に渡って世襲し明治維新を迎えている。
現在の天守は、定行が1639年から3年がかりで本壇を三重に改築したが、1784年に落雷により焼失したため財政難に喘ぎながらも35年の歳月を経て1854年に再建落成したものである。


江戸時代には全国に170ヶ所はあったとされる城郭も、今日では「弘前城」、「松本城」、「丸岡城」、「犬山城」、「彦根城」、「姫路城」、「松江城」、「備中松山城」、「丸亀城」、「松山城」、「宇和島城」、「高知城」(「日本100名城」による順)という現存12天守のみとなっている。中に備中松山城とあるが当地の場合は「松山城」として「伊予」は付けない。注目すべきは四国には現存12天守の内4天守、さらに愛媛県には「宇和島城」とともに2天守が残っていると言うことでお城マニアにとっては刺激的だ。
松山城は、現存12天守の中でも姫路城と同じ構造の「連立式天守」である。他に「連結式天守」、「独立式天守」、「複合式天守」などがあるが、天守・小天守・櫓を四方に配置し、渡櫓でつなぐ形式で建物で仕切られた中庭ができるのが「連立式天守」の特徴とされる。厳重な防備手法であるため天守防衛の究極の姿であるとも言われている。
今回の取材撮影は3月22日。お天気は薄曇りの状態ではあったが休日と言うこともあって本丸はごった返していた。中でも天守に登るために並んでいる行列にはビックリ。それも外国の方々がほとんど。だからというわけではないが今回ご紹介するのは、大手から屏風折の石垣を観ながら本丸を進み、紫竹門を潜って本壇西側の搦手(裏手)を写真でご紹介する。


城正面の大手に対し裏側を搦手(からめて)という。松山城では本壇の西に位置する乾門が裏門にあたるので、いったん乾門を出てから屏風折の石垣を右手に観て圧巻の景色を撮影した後、改めて乾門を潜って搦手エリアに入ってみる。


搦手エリアには、全国でも珍しい「望楼型二重櫓の野原櫓」や、城内最古の「乾櫓」などの重要な建造物があり、搦手と大手を仕切る紫竹門も含めて見逃せない。搦手において乾櫓まで下がってみると正面には南隅櫓と北隅櫓がありその間から天守を観ることができる。写真を撮りたい方々にとっては、乾門も含めてなかなか良いポジションでもあり、本壇とは、また違った歴史的な気配を感じさせてくれる。中でも注目すべきは加藤嘉明が仕掛けた巧妙な「搦手罠」が細部に見受けられる。

乾櫓は築城当初より現存する二重の隅櫓で、乾門・乾門東続櫓と共に正木城から移築されたと伝わる。

日本で唯一現存する望楼型二重櫓で建物の上に物見(望楼)を載せた古い形式で天守の原型とされる。

県都松山にあって現存12城のひとつに数えられる松山城。今年の桜の開花は去年と同様に4月に入ってからが満開。私が取材撮影した3月22日には、まだ全然咲いていなかったので過去の写真でご容赦いただきたい。
ただ、松山城のホームページによるとそろそろ満開ということなので是非お出かけいただきたい。インバウンドのお客様で混雑しているが、それは本壇の天守を目指す方々のこと。今回私が訪ねた搦手エリアは、歴史的背景でも興味深いことが多くて面白い。写真を撮ってもなかなか楽しいし、なんと言っても紫竹門を潜ってからは人が少ないからゆっくりできる。
(参考:松山城公式サイト)
4月も上旬なら桜も楽しめる。そして「搦手罠」とはいったい何を指しているのか、実際にお訪ねいただき探し当てていただきたい。
4月も楽しい旅を♬
Mr.K
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【参考情報】
松山城
https://www.matsuyamajo.jp/
城探訪
https://www.matsuyamajo.jp/discover/
城探訪 / 建築と文化財
https://www.matsuyamajo.jp/discover/connection.html
2026年4月1日(水曜日)





